目次
はじめに
江戸時代(1603年~1868年)の日本では、近代的な避妊具や医学的な知識が普及していなかったにもかかわらず、人々はさまざまな方法で避妊を試みていました。
避妊の理由としては、貧困による養育の困難、家計の維持、労働力の調整などが挙げられます。
以下では、江戸時代の主な避妊法について紹介します。
膣外射精(体外射精)
江戸時代において最も一般的な避妊法は、膣外射精(いわゆる「外出し」)でした。
これは性交の際に精液を膣の外に排出する方法であり、世界的にも古くから行われていました。
この方法は、特別な道具を必要としないため、広く実践されていたと考えられます。
堕胎薬の使用
避妊とは少し異なりますが、妊娠を防ぐ手段の一つとして堕胎薬が利用されていました。
例えば、トリカブトやセンブリ、コウブシなどの薬草を煎じて飲むことで妊娠を防ぐ、または妊娠初期に流産を引き起こすと考えられていました。
ただし、これらの薬草は非常に毒性が強く、母体にも大きな危険をもたらすことがありました。
月経調整のための薬草
女性たちは、月経の周期を調整するために、特定の薬草を使用していました。
例えば、ヨモギやショウガ、センブリなどは、子宮を刺激し、生理を早めたり、妊娠を防ぐために用いられました。
これらは、当時の漢方医や薬草に詳しい人々の間で広まっていたと考えられます。
性交の回数やタイミングの調整
避妊のために性交の回数を減らしたり、妊娠しやすいとされる時期(現代でいう排卵期)を避ける方法もありました。
ただし、当時は排卵の周期や妊娠のメカニズムに関する科学的な知識は十分ではなく、経験則に基づいたものでした。
膣内異物の使用
海外では古くから動物の膀胱や布を用いた避妊具が存在しましたが、日本でも布や紙を膣内に挿入することで、精液の侵入を防ぐ試みが行われていたとされています。
これらの方法は、現在の避妊具の原型ともいえるでしょう。
一部の避妊具(精液を防ぐ道具)
江戸時代後期になると、中国などから伝わった避妊具の概念が一部の知識層に広がり、紙や絹を使った簡易的なコンドームのようなものが使用されたという記録もあります。
しかし、これらは庶民にはほとんど普及していなかったと考えられます。
民間信仰と迷信による避妊
江戸時代には、妊娠を避けるためのさまざまな迷信が信じられていました。
例えば、特定の神社にお参りすることで避妊できると考えられたり、特定の動物の骨やお守りを身につけることで妊娠を防ぐと信じられていたこともありました。
堕胎の実施
避妊に失敗した場合、妊娠中絶(堕胎)が行われることもありました。
特に遊郭では、望まれない妊娠を防ぐために堕胎が頻繁に行われていたとされています。
堕胎には、物理的な方法(腹部への圧迫や器具の使用)や薬草の摂取などが用いられましたが、母体への危険が非常に高いものでした。
まとめ
江戸時代の人々は、現代のような避妊具や避妊薬がない中で、さまざまな工夫をして妊娠を防いでいました。
しかし、多くの方法は効果が不確実であり、また母体に危険を及ぼすものも多かったことが分かります。
現在では、科学的に証明された避妊法が多く存在し、安全に家族計画を行うことが可能になっていますが、江戸時代の避妊法からも、人々の知恵や工夫が垣間見えるのではないでしょうか。
